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自己啓発本の森を歩く〜カーネギーを超える本はあるのか??〜

同じような自己啓発本がなぜ多いのか?自己啓発本は何を教えてくれるのか?自己啓発本はなぜ売れるのか?なぜ自己啓発本の内容を実践できないのか?自己啓発本を読みながら考える

あなたの夏目漱石らしさを肯定する〜斎藤孝『知性の磨き方』〜

 

知性ある人とは

知性ある人間とは一言で言って仕舞えば柔軟性のある人といえそうだ。

 

固定観念や常識に囚われていたり、杓子定規にものごとを全てにはてはめてしまう人から知性を感じるのは難しいだろう。

 

批判を受け入れられるかどうかは結局自分が柔軟に変われるかどうかに依存するから、批判を受け入れられる人=知性ある人というのは、やはり柔軟性のある人を意味するだろう。

 

今回読んだのは斎藤孝の『知性の磨き方』(SB新書、2017年)

 

知性の磨き方 (SB新書)

知性の磨き方 (SB新書)

 

 

この本の中で知性ある人のロールモデルとして挙げられているのは、夏目漱石福沢諭吉西郷隆盛、西田幾太郎、柳田國男らである。言われずとも知れたいずれも著名な知性あると思しき人々だ。

 

さて、この本をどう使う??

 

自己啓発本である以上、この本から何かを得て自分の人生をよりよいものにしたいところである。では、このロールモデルから誰を選ぼうか?

 

1番迷うのは夏目漱石だ。夏目漱石レベルの知性ある人になれるなら喜んで何でもするさ、と言いたいところだが、本書によれば夏目漱石は相当に精神を病んだ、というか強迫的なまでに不安症の人物のようだ。当時の日本が抱えていることをあたかも自分のことのように考え、悩むわけだから、それはもう当然に精神に異常をきたす。現代で言えば要はメンヘラなのだ。

 

夏目漱石から何を学ぶか。

 

私はそうなのだが、自己啓発本を手に取る人というのは何らかの悩みを抱えていて、しかもその悩みを人並み以上に悩み抜き、悩みに苦しめられ、悩みからの解放を願う人が多いのではないかと思う。

 

本書では夏目漱石が留学先の英国の生活に馴染めなかったことにも言及されているが(34-38頁)、同時期にやはり海外留学をしていた森鴎外はもっと外向的で、ドイツ人とも付き合えたりするわけで、森鴎外だって知性ある人なのだから、悩みに悩む夏目漱石よりも森鴎外になれる方法を教えてほしいと思ったりもする。

 

自己啓発本とはとどのつまり夏目漱石的な人が森鴎外的な人になりたいという願望を叶えるものではないのだろうか。

 

とすれば、なぜに夏目漱石ロールモデルなのさ、と思ったりもするわけである。

 

夏目漱石まで思い詰める人はさすがに少ないだろうが、自己啓発本を手に取る人は多かれ少なかれ自分の中に夏目漱石っぽさ(悩みや不安が人並み以上に気になってしまうところ)を抱えているとする。こんなロールモデル紹介されたって、こんな人になんてなりたくないって思うか、夏目漱石ほどの人でさえ、ここまで悩むんだからって思えるか、はたまた夏目漱石は悩んだためあそこまでビッグになれたんだから、同じ性質を持つ自分だって夏目漱石並みかそれ以上にビッグになれると思うやもしれない。

 

そう考えると悩むことがはたした悪いことなのかというそもそも論が生じる。

 

正直悩みや不安は苦しい。不安があるから行動できずに後で悔やむことも数知れない。こうしたストレスから解放されて人生をよりラクに生きられらようになりたいというのも自己啓発本を手に取る大きな理由の一つだ。

 

世の中でバリバリに活躍してる人は悩みがなかったり、悩む前に行動できたり、悩みを克服できる術を身につけているんじゃないかって勝手に想像する。みな悩んでいるのだろうし、それこそ人並み以上に悩んでいるのだろうが、ドキュメンタリー番組なんかでは悩む姿は映されても数分で、映像ではどんなに優れた番組でも悩みの深さを視聴者が感じ取るのは難しい。

 

それゆえすごい人はウジウジした悩みとは無縁なのではないかと勝手に想像して、彼我の格差に悩むという悩みの上塗りをしてしまう。

 

だから、夏目漱石でも悩んでいたのであり、それこそメンヘラ並みに悩んでいたと知ることは我が身を労わるうえで有益なことといえそうである。

 

悩みとどう対峙する?

 

ただ、やはり悩みをどう克服して行動するのか、というのは自己啓発本の読者の関心事だろうから、メンヘラ夏目漱石がどうやって、一歩を踏み出せるのか、どうやって感情をエイやとコントロールできたのかというのは大いに知りたいところだ。作家になったということは、何かの文章を書いて人に見せるというプロセスがあるということだ。不安症なら自分の文章なんて、とかどうせ持ち込んだって断れるに決まってると勝手に想像を膨らませて尻込みしてしまうものだ。

 

夏目漱石は故人だからもう彼に直接聞くことはできないが、不安に苛まれたとき彼がどう苦しみ、苦しみながらも前に進んだのかがとっても知りたいと思うのであった。

 

悩みにとことん向きあうのが一つの解決法(もっともそれで悩みがゼロになるわけではない)だとすれば、そもそも自己啓発本なんて読まなくていいんじゃない?ってふと思ったりもする。自己啓発本で悩みを軽くしたいと思うのは、悩みや不安がストレスや苦しみだからであり、その苦しみから解放されたいからこそ、自己啓発本を読むのだ。

 

 (特に精神面で)ラクをしたいと思って自己啓発本を手に取るが、われわれは悩みとどう対峙すべきなのか。悩みから逃げるのか、悩みを無視するのか、悩みに立ち向かうのか、悩みを克服するのか。

 

悩みとどう対峙するかが自己啓発本の永遠のテーマの一つであるような気がして、そして本書の夏目漱石のエピソードは、逃げたり無視するのではなくとことん向き合えという。それが辛いから自己啓発本を読むのだが、そうしたラクな道を選ばず面と向かって対峙したほうが知性ある人間になれるのやもしれない。何事もラクな道はないようだ。

 

さて次は何を読もうか

山崎将志『残念な人の思考法』〜上から目線な物言いにカチンとくるなら痛いところを突かれているということだ〜

 

 

1.なぜこのブログを?(再掲)

 

最近本屋に行けばたくさんの自己啓発本が平積みされているのを目にするだろう。

 

かくいう私もそうした自己啓発本の何冊かを手に取り、しばしば読んだりする。

 

どの本もなかなかいいことを言っているなぁ、と思う。本の内容を実践したいなぁ、と思う。他方で、同じような内容を前にも読んだことがあるなぁ、とも思ったりする。こういう経験、皆さんされたことないだろうか?

 

少なくとも私はよくある。著者やタイトルが変われど中身はそれほど先行書と変わらなかったりする。それにもかかわらず新著がベストセラーになったりする。

 

もちろんしっかりと統計を取ったわけではないし、すべての自己啓発本を読んだわけではないから、私の感想が的外れの可能性も大いにある。

 

が、とりあえずそれは一度脇に置いておいて、私の直感が正しいと仮定しよう。

とすると、なぜにそもそもこれほどまでに自己啓発本が巷に溢れているのか、なぜに同じような内容なのか、なぜに同じような内容にもかかわらず繰り返し出版されしばしばベストセラーになるのか、なぜにわれわれはそれほどまでに自己啓発本を手に取ってしまうのか、なぜに自己啓発本に感銘を受けても実践できる人とできない人がいるのか、なぜに実践しているはずなのにいつまでも心の迷いが晴れないのか、といった様々なギモンが首をもたげてくる。

 

ふとそんなことを考えてみたくなった。もちろんすでに考えた先人たちもいるだろうが、私自身も考えてみようと思うのだ。

 

それには、まずは自己啓発本を読んでみるべきだろう。

 

しかし、せっかく読んでも自分の中だけにとどめておくのはもったいない。自分の中で咀嚼するにも備忘録は必要だ。というわけで、自己啓発本を読みつつ、読んだ本の中身や感想をブログという形式でまとめていこうと思うのである。

 

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 2.山崎将志『残念な人の思考法』

 

今回は山崎将志氏の『残念な人の思考法』だ。

 

残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)

残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)

 

 

 著者は外資コンサルタント勤務後独立したビジネスコンサルタントだ。「人生のプライオリティは、まず仕事である」という信念のもと、本書は執筆されている(6頁)。

 

人生でのプライオリティは、まず仕事である。

人生には仕事より家族、趣味、あるいは夢が大事だ、と言う方もいるかもしれない。しかし、家族も、趣味も、夢も、仕事がうまく回っていることが前提で成り立つ。さらに言えば、仕事で成功すればするほど、それらはより充実する。

確かに、仕事で逆境に苦しんでいても、家族の愛に包まれている生活や、趣味に生きがいを求める姿がテレビや雑誌で取り上げられることがあるが、それはレアケースである。テレビドラマが面白いのは、現実離れしているからであり、現実離れしたことだからこそニュースのネタになるのだ(6頁)

 

この時点で、SNSやYahooニュース等のコメント欄には否定的な記事が寄せられそうだ(実際アマゾンのレビューは決してよくない)。

 

実際、世の中には仕事から意識的に離れた人もいる。

 

いばや通信

 

坂爪氏と同じ生き方をせよ、と言われたら私はかなり逡巡するし、ほぼ100%の確率でそうしないのだが、とはいえ、この発想は全く私自身考えもしなかった。世の中には面白いことを考え、そして行動に移す人がいる。坂爪氏に生き方にも賛否両論あろうが、人と違うことを考え出して実際してみる人を私は素直に尊敬する。というか、そういうことを考えつかなかった己の発想力の乏しさが悔しい。

 

閑話休題。話を仕事にプライオリティを置く著者に戻そう。

 

3.本書の構成と気になるところの抜粋

本書の目次は以下のとおりだ。

 

1章 残念な人はつくられる

2章 二流は掛け算で考え、一流は割り算で考える。

3章 残念な人は「塗り絵」ができない

4章 機能だけを磨いても二階には上がれない。

5章 人生を残念にしないためのプライオリティ

 

巷に溢れる自己啓発本の中で敢えて手に取るべき必読の名著とは思わないが、それでもいろいろハッと再確認させられるところはある。

 

本書は「残念な人」の症状の紹介とその改善を目指した本だ。

 

仕事にプライオリティを置いている人すべてが、それに満足するだけの成果を得られているとは限らない。

その代表格が、「残念な人」である。ちゃんと学校を出て、入社試験もクリアした。役に立つ資格も持っている。そして、やる気も十分あり、夜遅くまで懸命に働いている。

しかし、結果が出ない。そんな人たちのことだ(7頁)

 

私は残念な人の有資格者だ。私の経歴を話せば半数以上の人からはエリートですね、と言われる(もっともどういう場で話すかにもよるが)。一般的に上位校とされる大学を卒業後、単位取得退学ではあるが、大学院の博士課程を出て、大手とされる民間シンクタンクで働いている。会社名自体を知る人はさほどいないだろうが、誰もが知る銀行グループの名前を冠しているため、会社名や仕事内容を言えば、すごいところで働いているんですね、となる。業界的に多忙を良しとする空気もあるので、平均よりは夜遅くまで働いてると言ってよい。

 

私は残念な人の完全なる有資格者だ。それゆえ、本書を読むと自分は大丈夫と思うところもある一方、むぅ、と唸らざるを得ないところもある。そう、有資格者というよりはしっかりと残念な人試験に合格し、残念な人にめでたく認定されうる人物なのである、私は。

 

残念な人は同時に「もったいない人」だと氏は言う。「少し考え方を変えればうまくいくのに、本当にもったいないと思う。」(11-12頁)

 

別に本書だけのオリジナリティがある主張というわけではないが、プライオリティが大事、実行が大事ってことを否定する人は少ないだろう。

 

残念な人とは、プライオリティ付けの「正否」「適否」を考えない人、あるいは見誤る人のことなのである。この点を改善すれば能力を十分に発揮できるようになる(19頁)

 

ノウハウは公開してもまったく問題はない。なぜなら、大変なのは「実行する」ことだからだ(76頁)

 

幾度もチャンスを与えられていながら、最後まで行動を起こす勇気を出せない人がいる。他人の成功を聞いて、「それは、俺がずっと前から考えていたアイデアだ」と周りに妙な自慢をしたり、「あのときに行動しておけばよかった」と未練がましいのはよろしくない。

男女の恋愛と同じで、とりあえず行動に出るべきである。

(中略)

実行してみて、「どれだけ頑張っても駄目なことがある」と自分の仮説の間違いを知ることは、行動における最大の収穫である。ある時点で見切り、損切りすることは、成果をあげるためにきわめて重要な行為といえる(135頁)

 

そう、差がつくのは何が善かを知らないからではない。知っていても実行できるかどうかの差である。これはわれわれ自己啓発本を読んで成長したいと思っている人誰しにも当てはまることだ。大概の自己啓発本には実践すればプラスになりそうなことが書いてある。極論何冊も買わずに、たまたま手に取った一冊の本だけを実践しても人生はより良いものになるだろう。ただ、問題は実践が難しい。繰り返し買ってしまうのは、毎年年明けに今年こそは頑張ろうと抱負を定め直しているのと同じようなものだ。前年にやっておけばよかっただけなのだ。しかし、なぜに実践できないのだろう。どうすれば実践できるようになるのだろう、どうすれば続けられるのだろう。うーむ。。。(−_−;)

 

PREP法(「結論を示し(Point)、理由を述べ(Reason)、具体例を述べ相手を説得へ導き(Example)、再度結論を示す(Point)」(125-126頁)といった賢く話すための方法論なども載っているので、気が向いたら実践すればいいと思うが、まずはプライオリティを考えるという理論を優先したほうがいい。

 

「貯金が一億円あったらやらないことは、やらなくていいことである」(131頁)のように金額の多寡は違えど他でも聞いたことがあるような内容もある。自己啓発本はあまり引用や注をつけないからはっきりしないだけで、かなり人口に膾炙する話なのだろう。

 

任せ「られ」ない人がいる。

任せ「られ」ない、とは二つの意味をこめている。ひとつは仕事を頼む相手として、任せるのに不十分であるということ。もうひとつは、人に任せるのが下手な人、ということである(139頁)

 

紙幅の多くは前者の任せるのに不十分な人向けに割かれているが、私は任せるのが下手な人という後者の意味で任せ「られ」ない人である。

やりがいのある仕事なら任せやすいが、中には事務作業的なモチベーションが上がりにくい仕事がある。そういう場合は任せるのに遠慮してしまったりする。また、思い当たる人も多かろうが、任せるより自分がやったほうが早いと、結局自分で引き取ってしまうパターンである。自分でやったほうが早いには、仕事そのものが自分がやったほうが早い場合もあるし、指示出しの内容を考えるのが面倒、頼むのが申し訳ないという心理的コストを避ける場合も含まれる。最近は意識的に任せようとしているが、「エイッ」と心の中で気合を入れないければならない。わかっていてもなかなか治せない自分の悪癖である(⌒-⌒; )

 

やりたくないことを消していくと、やりたいことが残るような気がするし、やりたくないことの裏返しがやりたいことだったりもする。

(中略)

加えて、目標を「紙に書く」というのもポイントである。頭の中でぐるぐる思いをめぐらせているだけでは、考えていることにはならない。文字という形ができて、初めて考えは具体化するのだ。文字で表現できないということはわかっていないということ。頭の中のイメージと、文字で表現された内容がしっくり来ないのであれば、検討が不十分だったということ(194-195頁)

 

人生のプラオリティを考え、そのための行動の前提として、筆者は「やりたくないこと」を考え、それを書き出すことを推奨する。やりたいこと、やりたくないことを考える際には上述の「1億円」のたとえも役立つだろう。1億円あったらやりたくないことは、やりたくないことリストに加えていけばいい。

 

ギャンブルで”勝つ”と怖くなる金額が、あなたの限界である

友人がマカオに行ってカジノに勝ったという話を聞いた。いくら勝ったのかと聞いたら五〇万円だという。勝ちすぎて怖くなりそこで止めたそうだ。本人は勝って帰れたからよかったという。確かにそうなのだが、私はもっとやればいいのに思った。

ギャンブルの勝ち方の話をしているのではない。壁は自分で作ってしまうという話である(214頁)

 

本書全体のストーリーからすると唐突感のある記述だが、筆者が面白いと思ったから入れ込みたかったのだろうし、確かに、と思い当たるフシもある。軽く筆者の自分自慢が入っているが、そこには目をつぶろうw


無限の可能性、とまでは言わないが、案外やってみれば出来ることのほうが世の中多いのではないか?誰も制約していないのに、自分の頭の中で勝手に自分はこの程度とか、やらない理由を探している。実際に失敗は恐い。それこそ途中まで成功していたら、これまでの努力が泡と消える恐怖に苛まれる。ゼロだったとしても、失敗の内容によっては、恥をかいたり、いくばくかの出費を伴ったり、何らかの心理的、時間的、物質的なコストを支払わなければならない。結局壁を越えられるのは自分しかいないのだ。誰しもが壁を作るのかもしれないが、その壁の中の面積が大きければ大きいほど、より多くのことにチャレンジできるのだろうし、成長もできるのだろう。壁といえば、進撃の巨人だが、確かに生存が許された面積が小さければ小さいほど人間も小さくなってゆく。

 

仕事第一なんて、昭和的で残念な人ですね、と著者を批判することはできよう。しかし、平成においてさえも、人生の質をちょっと上げる程度だったとしても、プライオリティや実践というのは役立つことだ。やや高飛車な言い方にカチンとしている私のような人は、逆説的に筆者が指摘するようなことを本心では気にしてるということかもしれない。そうでなければ、気にもならない。本心では改善したいと思っているのだ。そうであれば、本書の枝葉に突っかかるのではなく、ちょっとでもいいから役立つと思ったことを実践したほうがいい。筆者が仕事人間で昭和的だとしても、なぜにそれが自分が実践しなくていい言い訳となり得るのか。

 

しかし、本当に実践は難しい。なぜに人はやらない理由を見つけて自分を正当化するのが得意なのに、そのエネルギーを実践に振り向けることができないのだろう。。。(´ω`)

 

さて次は何を読もうか。 

林真理子『野心のすすめ』ー守りに入る自分に喝を入れるためのマムシドリンクー

 

1.なぜこのブログを?

 

最近本屋に行けばたくさんの自己啓発本が平積みされているのを目にするだろう。

 

かくいう私もそうした自己啓発本の何冊かを手に取り、しばしば読んだりする。

 

どの本もなかなかいいことを言っているなぁ、と思う。本の内容を実践したいなぁ、と思う。他方で、同じような内容を前にも読んだことがあるなぁ、とも思ったりする。こういう経験、皆さんされたことないだろうか?

 

少なくとも私はよくある。著者やタイトルが変われど中身はそれほど先行書と変わらなかったりする。それにもかかわらず新著がベストセラーになったりする。

 

もちろんしっかりと統計を取ったわけではないし、すべての自己啓発本を読んだわけではないから、私の感想が的外れの可能性も大いにある。

 

が、とりあえずそれは一度脇に置いておいて、私の直感が正しいと仮定しよう。

とすると、なぜにそもそもこれほどまでに自己啓発本が巷に溢れているのか、なぜに同じような内容なのか、なぜに同じような内容にもかかわらず繰り返し出版されしばしばベストセラーになるのか、なぜにわれわれはそれほどまでに自己啓発本を手に取ってしまうのか、なぜに自己啓発本に感銘を受けても実践できる人とできない人がいるのか、なぜに実践しているはずなのにいつまでも心の迷いが晴れないのか、といった様々なギモンが首をもたげてくる。

 

ふとそんなことを考えてみたくなった。もちろんすでに考えた先人たちもいるだろうが、私自身も考えてみようと思うのだ。

 

それには、まずは自己啓発本を読んでみるべきだろう。

 

しかし、せっかく読んでも自分の中だけにとどめておくのはもったいない。自分の中で咀嚼するにも備忘録は必要だ。というわけで、自己啓発本を読みつつ、読んだ本の中身や感想をブログという形式でまとめていこうと思うのである。 

 

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2.林真理子『野心のすすめ』(講談社現代新書、2013年)

本ブログにおける自己啓発本第1号は林真理子氏の『野心のすすめ』だ。わかりやすいタイトル。その名のとおり、野心を持つことを推奨し、「ちょっとでもいいから、身の程よりも上を目指してみる」ことをすすめる本である(p.5-6)。

 

野心のすすめ (講談社現代新書)

野心のすすめ (講談社現代新書)

 

 

本書で提唱される野心とはすなわち、

 

「大きな飛躍を望んで、新しいことに大胆に取り組もうとする気持」です。有名なクラーク博士の言葉「少年よ、大志を抱け」<Boys, be ambitious.>の「大志」の意味。私が本書で提唱したい「野心」も同じく、「もっと価値ある人間になりたい」と願う、とても健全で真っ当な心のことです(p.5)

 

だったら、『大志のすすめ』でいいじゃないか、と思いつつも実際に大志のすすめでは当たり前すぎて誰も手に取ることはないだろう。あえて世間的にネガティブな意味に捉えられがちである「野心」という言葉を使って読者の関心を引きつけるのはさすがだと思うし、確かに大志という健全さよりも、野心というどぎつい言葉のほうが人を行動に駆り立てるような気もする。大志と言われると一部の奇特な人にしか当てはまらない感じがする一方で、野心は程度の差こそあれ多くに人が手が届きそうな感じもするし。自己啓発本という以上は人を啓発し実践に駆り立てないといけないわけだから、やはり「野心」という言葉のほうがぴったりといえるだろう。恐らく本人も意識しただろうが、「野心」という言葉のほうが林氏のキャラクターとも符合し、より本書の説得力も増すというものだ。

 

言うなれば「大志」はオーガニック語法であり、「野心」は血の滴る肉語法なのである。散々やり尽くしてオーガニックという悟りの世界に行くのならそれも構わないだろうが、登り切っていないうちに清らかな世界に隠遁するのはよくない。人に活力を与えるのはやはり「肉」だ。

 

3.本書でいいなぁ、と思ったところを私なりに抜き出してみる

 本書の中で私がよかったと思った部分を抜粋する。筆者の強調したいポイントと一致しないところもあるかもしれないが、あくまで私個人としてなるほど、と思ったところを抜き出してみる。特に「三流は三流で固まりやすい」というポイントは易きに流れやすい自分にはとてもウッとくる指摘であった。

 

いま「低め安定」な人々がいくらなんでも多すぎるのではないでしょうか(p.9)

 

健全な野心を持つための第一歩は「現状認識」だと思います。

(中略)

たとえば、冴えない大学だから就職で差別されたとか、有名な会社に入れなかったから合コンでモテなかったとか。第二、第三志望の大学にしか入れなかったとき、あるいは思うような仕事に就けなかったとき。そこで世の中のヒエラルキーの存在に身をもって気づくー。

その屈辱感こそ野心の入り口なのです。

悔しいと思った時点で、「やっぱりあいつは必死で勉強してきたから東大に入った」とか、努力をした人には努力をしたなりの見返りがあるという事実を認識できるか。その時点での自分の敗北を認めることができるかどうか(p.16)

 

一流の、業界で力を持つ人に食い込んで行くことも実力のうちですが、まずは食い込むための実力を自分がどんな形であれ発揮しなければなりません。

「今のままじゃだめだ。もっと成功したい」と願う野心は、自分が成長していくための原動力となりますが、一方で、その野心に見合った努力が必要になります(p.31)

 

人の一生には、ほんの短い時間しか与えられていません。どのように生きていくかということを真剣に考えるのは、充実した人生を送るために不可欠なことだと思います(p.44)

 

(前略)三流は三流で固まりやすい、ということにいっそう合点がいきますよね。

年を取っても、三流仲間は自分を出し抜いたりせずに、ずっと三流のままでいてくれるだろうという安心感。周りはみんあぼんやりしていてプレッシャーもないし、とにかくラクですから、居心地が良い。三流の世界は人をそのまま三流に引き止めておこうとするやさしい誘惑に満ちているのです(p.50)

 

運というのは一度回り出してくると、まるで、わらしべ長者のように、次はこれ、その次はこの人、と、より大きな幸運を呼ぶ出会いを用意してくれるのです。

しかし、ここで忘れてはなりません。空の上から自分を見ている強運の神様の存在を。強運の合格点を貰うには、ここぞというときに、ちゃんと努力を重ねていなければならないということを。

その「ここぞという機会」を自分で作り出すのが、野心です。私が強運だと言われているのも、次々といろいろなことに挑戦し続けてきたからだと思います(p.67) 

 

4.感想〜自己啓発の第一歩としていい本だ〜

 本書は努力の重要性を説く本だと思う。努力が重要だってことは誰もが知っている。しかし、何もないところで努力はできない。努力するためには目標が必要だ。大志と言い換えても良い。しかし、目標や大志という言葉ではキレイすぎて人の心を動かせないのだ。

 

よほどの天才でもないかぎり、成功するためには努力が必要である。だが、努力には原動力が不可欠である。原動力には様々なものがあり得る。誰かのために頑張るという利他の精神もその一つだろう。他方で自分がなりたい自分になる、そのために成功するという利己の精神は努力する強いモチベーションになる。

 

本書は努力をすすめるという極めて健全な内容の本だ。そしてその努力のエンジンとして利己心の活用をすすめ、その利己心をよりパワフルなかたちで駆動させるためのガソリンとして「野心」という言葉をあえて使用し、それをすすめるのであろう。

 

そういったギラギラしたエネルギーが本書にはある。読めば、ハッ、最近の自分は守りに入っていた、うまくいかない理由を外部環境に求めてもう平凡なままでいいやって腐っていた、昔はやる気満々だったのに最近ずいぶん落ち着いてしまっていた、と気づかされるのではないか。

 

さらに言えば、本書では「利他」の精神はほとんど説かれていない。筆者には利他の精神もあろうし、その重要性もよくわかっているだろうが、少なくとも本書では特に強調されていないように思える。そこも本書のいいところではないだろうか。

 

よく新聞の著名人や社長のコラムなんかを読んだり、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』などを見たりすると、誰かのために頑張るという気持ちが強調されたり、そのほうがより高次の動機付けと明示的・黙示的に示唆されている。

 

利他心があるほうが頑張れるというのは真実だろう。どんな努力や目標でも必ずくじけたくなるときがある。そのときに、自分のためという動機だけでは諦めてしまうところ、誰かのためとなれば自分の一存だけで勝手にやめるのは申し訳が立たず、それだけ続けられる原動力になるというものだ。

 

とはいえ、利他心といわれると高尚な香りもする。実際は世界平和や世の中をよくする、といった大それたものではなく、身近な人に気を遣う、困っていたらちょっと手助けするぐらいのレベルで十分なのだろうが、自分のような一般人はそのような高尚な精神を持ち合わせているのか、と思わず自問自答し、いやいや自分はそんなに大した人間ではないと、後ずさってしまうかもしれない。

ただ、利己心は利他心より一段下の価値しかないと言われてしまうと、利己心を原動力にしてしまっていいのか、とも悩むだろう。

 

しかし、自分の成長のためだ、自己利益のためだ、というほうが動機付けはシンプルでわかりやすいのも事実。それに、実際のところ利己心と利他心はトレードオフの関係とは限らない。だから、野心をもって自分のために努力せよ、とおおっぴらに正当化してくれる本書は自己啓発の第一歩としてとてもいい本だと思うのだ。

 

疲れて気持ちが奮い立たないときに本書はとても刺激をくれる。あたかも、それは疲れた身体に瞬時にエネルギーをくれるマムシドリンクのような存在である。

 

次は何を読もうか。