読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

自己啓発本の森を歩く〜カーネギーを超える本はあるのか??〜

同じような自己啓発本がなぜ多いのか?自己啓発本は何を教えてくれるのか?自己啓発本はなぜ売れるのか?なぜ自己啓発本の内容を実践できないのか?自己啓発本を読みながら考える

林真理子『野心のすすめ』ー守りに入る自分に喝を入れるためのマムシドリンクー

 

1.なぜこのブログを?

 

最近本屋に行けばたくさんの自己啓発本が平積みされているのを目にするだろう。

 

かくいう私もそうした自己啓発本の何冊かを手に取り、しばしば読んだりする。

 

どの本もなかなかいいことを言っているなぁ、と思う。本の内容を実践したいなぁ、と思う。他方で、同じような内容を前にも読んだことがあるなぁ、とも思ったりする。こういう経験、皆さんされたことないだろうか?

 

少なくとも私はよくある。著者やタイトルが変われど中身はそれほど先行書と変わらなかったりする。それにもかかわらず新著がベストセラーになったりする。

 

もちろんしっかりと統計を取ったわけではないし、すべての自己啓発本を読んだわけではないから、私の感想が的外れの可能性も大いにある。

 

が、とりあえずそれは一度脇に置いておいて、私の直感が正しいと仮定しよう。

とすると、なぜにそもそもこれほどまでに自己啓発本が巷に溢れているのか、なぜに同じような内容なのか、なぜに同じような内容にもかかわらず繰り返し出版されしばしばベストセラーになるのか、なぜにわれわれはそれほどまでに自己啓発本を手に取ってしまうのか、なぜに自己啓発本に感銘を受けても実践できる人とできない人がいるのか、なぜに実践しているはずなのにいつまでも心の迷いが晴れないのか、といった様々なギモンが首をもたげてくる。

 

ふとそんなことを考えてみたくなった。もちろんすでに考えた先人たちもいるだろうが、私自身も考えてみようと思うのだ。

 

それには、まずは自己啓発本を読んでみるべきだろう。

 

しかし、せっかく読んでも自分の中だけにとどめておくのはもったいない。自分の中で咀嚼するにも備忘録は必要だ。というわけで、自己啓発本を読みつつ、読んだ本の中身や感想をブログという形式でまとめていこうと思うのである。 

 

スポンサーリンク

 

 

2.林真理子『野心のすすめ』(講談社現代新書、2013年)

本ブログにおける自己啓発本第1号は林真理子氏の『野心のすすめ』だ。わかりやすいタイトル。その名のとおり、野心を持つことを推奨し、「ちょっとでもいいから、身の程よりも上を目指してみる」ことをすすめる本である(p.5-6)。

 

野心のすすめ (講談社現代新書)

野心のすすめ (講談社現代新書)

 

 

本書で提唱される野心とはすなわち、

 

「大きな飛躍を望んで、新しいことに大胆に取り組もうとする気持」です。有名なクラーク博士の言葉「少年よ、大志を抱け」<Boys, be ambitious.>の「大志」の意味。私が本書で提唱したい「野心」も同じく、「もっと価値ある人間になりたい」と願う、とても健全で真っ当な心のことです(p.5)

 

だったら、『大志のすすめ』でいいじゃないか、と思いつつも実際に大志のすすめでは当たり前すぎて誰も手に取ることはないだろう。あえて世間的にネガティブな意味に捉えられがちである「野心」という言葉を使って読者の関心を引きつけるのはさすがだと思うし、確かに大志という健全さよりも、野心というどぎつい言葉のほうが人を行動に駆り立てるような気もする。大志と言われると一部の奇特な人にしか当てはまらない感じがする一方で、野心は程度の差こそあれ多くに人が手が届きそうな感じもするし。自己啓発本という以上は人を啓発し実践に駆り立てないといけないわけだから、やはり「野心」という言葉のほうがぴったりといえるだろう。恐らく本人も意識しただろうが、「野心」という言葉のほうが林氏のキャラクターとも符合し、より本書の説得力も増すというものだ。

 

言うなれば「大志」はオーガニック語法であり、「野心」は血の滴る肉語法なのである。散々やり尽くしてオーガニックという悟りの世界に行くのならそれも構わないだろうが、登り切っていないうちに清らかな世界に隠遁するのはよくない。人に活力を与えるのはやはり「肉」だ。

 

3.本書でいいなぁ、と思ったところを私なりに抜き出してみる

 本書の中で私がよかったと思った部分を抜粋する。筆者の強調したいポイントと一致しないところもあるかもしれないが、あくまで私個人としてなるほど、と思ったところを抜き出してみる。特に「三流は三流で固まりやすい」というポイントは易きに流れやすい自分にはとてもウッとくる指摘であった。

 

いま「低め安定」な人々がいくらなんでも多すぎるのではないでしょうか(p.9)

 

健全な野心を持つための第一歩は「現状認識」だと思います。

(中略)

たとえば、冴えない大学だから就職で差別されたとか、有名な会社に入れなかったから合コンでモテなかったとか。第二、第三志望の大学にしか入れなかったとき、あるいは思うような仕事に就けなかったとき。そこで世の中のヒエラルキーの存在に身をもって気づくー。

その屈辱感こそ野心の入り口なのです。

悔しいと思った時点で、「やっぱりあいつは必死で勉強してきたから東大に入った」とか、努力をした人には努力をしたなりの見返りがあるという事実を認識できるか。その時点での自分の敗北を認めることができるかどうか(p.16)

 

一流の、業界で力を持つ人に食い込んで行くことも実力のうちですが、まずは食い込むための実力を自分がどんな形であれ発揮しなければなりません。

「今のままじゃだめだ。もっと成功したい」と願う野心は、自分が成長していくための原動力となりますが、一方で、その野心に見合った努力が必要になります(p.31)

 

人の一生には、ほんの短い時間しか与えられていません。どのように生きていくかということを真剣に考えるのは、充実した人生を送るために不可欠なことだと思います(p.44)

 

(前略)三流は三流で固まりやすい、ということにいっそう合点がいきますよね。

年を取っても、三流仲間は自分を出し抜いたりせずに、ずっと三流のままでいてくれるだろうという安心感。周りはみんあぼんやりしていてプレッシャーもないし、とにかくラクですから、居心地が良い。三流の世界は人をそのまま三流に引き止めておこうとするやさしい誘惑に満ちているのです(p.50)

 

運というのは一度回り出してくると、まるで、わらしべ長者のように、次はこれ、その次はこの人、と、より大きな幸運を呼ぶ出会いを用意してくれるのです。

しかし、ここで忘れてはなりません。空の上から自分を見ている強運の神様の存在を。強運の合格点を貰うには、ここぞというときに、ちゃんと努力を重ねていなければならないということを。

その「ここぞという機会」を自分で作り出すのが、野心です。私が強運だと言われているのも、次々といろいろなことに挑戦し続けてきたからだと思います(p.67) 

 

4.感想〜自己啓発の第一歩としていい本だ〜

 本書は努力の重要性を説く本だと思う。努力が重要だってことは誰もが知っている。しかし、何もないところで努力はできない。努力するためには目標が必要だ。大志と言い換えても良い。しかし、目標や大志という言葉ではキレイすぎて人の心を動かせないのだ。

 

よほどの天才でもないかぎり、成功するためには努力が必要である。だが、努力には原動力が不可欠である。原動力には様々なものがあり得る。誰かのために頑張るという利他の精神もその一つだろう。他方で自分がなりたい自分になる、そのために成功するという利己の精神は努力する強いモチベーションになる。

 

本書は努力をすすめるという極めて健全な内容の本だ。そしてその努力のエンジンとして利己心の活用をすすめ、その利己心をよりパワフルなかたちで駆動させるためのガソリンとして「野心」という言葉をあえて使用し、それをすすめるのであろう。

 

そういったギラギラしたエネルギーが本書にはある。読めば、ハッ、最近の自分は守りに入っていた、うまくいかない理由を外部環境に求めてもう平凡なままでいいやって腐っていた、昔はやる気満々だったのに最近ずいぶん落ち着いてしまっていた、と気づかされるのではないか。

 

さらに言えば、本書では「利他」の精神はほとんど説かれていない。筆者には利他の精神もあろうし、その重要性もよくわかっているだろうが、少なくとも本書では特に強調されていないように思える。そこも本書のいいところではないだろうか。

 

よく新聞の著名人や社長のコラムなんかを読んだり、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』などを見たりすると、誰かのために頑張るという気持ちが強調されたり、そのほうがより高次の動機付けと明示的・黙示的に示唆されている。

 

利他心があるほうが頑張れるというのは真実だろう。どんな努力や目標でも必ずくじけたくなるときがある。そのときに、自分のためという動機だけでは諦めてしまうところ、誰かのためとなれば自分の一存だけで勝手にやめるのは申し訳が立たず、それだけ続けられる原動力になるというものだ。

 

とはいえ、利他心といわれると高尚な香りもする。実際は世界平和や世の中をよくする、といった大それたものではなく、身近な人に気を遣う、困っていたらちょっと手助けするぐらいのレベルで十分なのだろうが、自分のような一般人はそのような高尚な精神を持ち合わせているのか、と思わず自問自答し、いやいや自分はそんなに大した人間ではないと、後ずさってしまうかもしれない。

ただ、利己心は利他心より一段下の価値しかないと言われてしまうと、利己心を原動力にしてしまっていいのか、とも悩むだろう。

 

しかし、自分の成長のためだ、自己利益のためだ、というほうが動機付けはシンプルでわかりやすいのも事実。それに、実際のところ利己心と利他心はトレードオフの関係とは限らない。だから、野心をもって自分のために努力せよ、とおおっぴらに正当化してくれる本書は自己啓発の第一歩としてとてもいい本だと思うのだ。

 

疲れて気持ちが奮い立たないときに本書はとても刺激をくれる。あたかも、それは疲れた身体に瞬時にエネルギーをくれるマムシドリンクのような存在である。

 

次は何を読もうか。