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自己啓発本の森を歩く〜カーネギーを超える本はあるのか??〜

同じような自己啓発本がなぜ多いのか?自己啓発本は何を教えてくれるのか?自己啓発本はなぜ売れるのか?なぜ自己啓発本の内容を実践できないのか?自己啓発本を読みながら考える

山崎将志『残念な人の思考法』〜上から目線な物言いにカチンとくるなら痛いところを突かれているということだ〜

 

 

1.なぜこのブログを?(再掲)

 

最近本屋に行けばたくさんの自己啓発本が平積みされているのを目にするだろう。

 

かくいう私もそうした自己啓発本の何冊かを手に取り、しばしば読んだりする。

 

どの本もなかなかいいことを言っているなぁ、と思う。本の内容を実践したいなぁ、と思う。他方で、同じような内容を前にも読んだことがあるなぁ、とも思ったりする。こういう経験、皆さんされたことないだろうか?

 

少なくとも私はよくある。著者やタイトルが変われど中身はそれほど先行書と変わらなかったりする。それにもかかわらず新著がベストセラーになったりする。

 

もちろんしっかりと統計を取ったわけではないし、すべての自己啓発本を読んだわけではないから、私の感想が的外れの可能性も大いにある。

 

が、とりあえずそれは一度脇に置いておいて、私の直感が正しいと仮定しよう。

とすると、なぜにそもそもこれほどまでに自己啓発本が巷に溢れているのか、なぜに同じような内容なのか、なぜに同じような内容にもかかわらず繰り返し出版されしばしばベストセラーになるのか、なぜにわれわれはそれほどまでに自己啓発本を手に取ってしまうのか、なぜに自己啓発本に感銘を受けても実践できる人とできない人がいるのか、なぜに実践しているはずなのにいつまでも心の迷いが晴れないのか、といった様々なギモンが首をもたげてくる。

 

ふとそんなことを考えてみたくなった。もちろんすでに考えた先人たちもいるだろうが、私自身も考えてみようと思うのだ。

 

それには、まずは自己啓発本を読んでみるべきだろう。

 

しかし、せっかく読んでも自分の中だけにとどめておくのはもったいない。自分の中で咀嚼するにも備忘録は必要だ。というわけで、自己啓発本を読みつつ、読んだ本の中身や感想をブログという形式でまとめていこうと思うのである。

 

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 2.山崎将志『残念な人の思考法』

 

今回は山崎将志氏の『残念な人の思考法』だ。

 

残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)

残念な人の思考法(日経プレミアシリーズ)

 

 

 著者は外資コンサルタント勤務後独立したビジネスコンサルタントだ。「人生のプライオリティは、まず仕事である」という信念のもと、本書は執筆されている(6頁)。

 

人生でのプライオリティは、まず仕事である。

人生には仕事より家族、趣味、あるいは夢が大事だ、と言う方もいるかもしれない。しかし、家族も、趣味も、夢も、仕事がうまく回っていることが前提で成り立つ。さらに言えば、仕事で成功すればするほど、それらはより充実する。

確かに、仕事で逆境に苦しんでいても、家族の愛に包まれている生活や、趣味に生きがいを求める姿がテレビや雑誌で取り上げられることがあるが、それはレアケースである。テレビドラマが面白いのは、現実離れしているからであり、現実離れしたことだからこそニュースのネタになるのだ(6頁)

 

この時点で、SNSやYahooニュース等のコメント欄には否定的な記事が寄せられそうだ(実際アマゾンのレビューは決してよくない)。

 

実際、世の中には仕事から意識的に離れた人もいる。

 

いばや通信

 

坂爪氏と同じ生き方をせよ、と言われたら私はかなり逡巡するし、ほぼ100%の確率でそうしないのだが、とはいえ、この発想は全く私自身考えもしなかった。世の中には面白いことを考え、そして行動に移す人がいる。坂爪氏に生き方にも賛否両論あろうが、人と違うことを考え出して実際してみる人を私は素直に尊敬する。というか、そういうことを考えつかなかった己の発想力の乏しさが悔しい。

 

閑話休題。話を仕事にプライオリティを置く著者に戻そう。

 

3.本書の構成と気になるところの抜粋

本書の目次は以下のとおりだ。

 

1章 残念な人はつくられる

2章 二流は掛け算で考え、一流は割り算で考える。

3章 残念な人は「塗り絵」ができない

4章 機能だけを磨いても二階には上がれない。

5章 人生を残念にしないためのプライオリティ

 

巷に溢れる自己啓発本の中で敢えて手に取るべき必読の名著とは思わないが、それでもいろいろハッと再確認させられるところはある。

 

本書は「残念な人」の症状の紹介とその改善を目指した本だ。

 

仕事にプライオリティを置いている人すべてが、それに満足するだけの成果を得られているとは限らない。

その代表格が、「残念な人」である。ちゃんと学校を出て、入社試験もクリアした。役に立つ資格も持っている。そして、やる気も十分あり、夜遅くまで懸命に働いている。

しかし、結果が出ない。そんな人たちのことだ(7頁)

 

私は残念な人の有資格者だ。私の経歴を話せば半数以上の人からはエリートですね、と言われる(もっともどういう場で話すかにもよるが)。一般的に上位校とされる大学を卒業後、単位取得退学ではあるが、大学院の博士課程を出て、大手とされる民間シンクタンクで働いている。会社名自体を知る人はさほどいないだろうが、誰もが知る銀行グループの名前を冠しているため、会社名や仕事内容を言えば、すごいところで働いているんですね、となる。業界的に多忙を良しとする空気もあるので、平均よりは夜遅くまで働いてると言ってよい。

 

私は残念な人の完全なる有資格者だ。それゆえ、本書を読むと自分は大丈夫と思うところもある一方、むぅ、と唸らざるを得ないところもある。そう、有資格者というよりはしっかりと残念な人試験に合格し、残念な人にめでたく認定されうる人物なのである、私は。

 

残念な人は同時に「もったいない人」だと氏は言う。「少し考え方を変えればうまくいくのに、本当にもったいないと思う。」(11-12頁)

 

別に本書だけのオリジナリティがある主張というわけではないが、プライオリティが大事、実行が大事ってことを否定する人は少ないだろう。

 

残念な人とは、プライオリティ付けの「正否」「適否」を考えない人、あるいは見誤る人のことなのである。この点を改善すれば能力を十分に発揮できるようになる(19頁)

 

ノウハウは公開してもまったく問題はない。なぜなら、大変なのは「実行する」ことだからだ(76頁)

 

幾度もチャンスを与えられていながら、最後まで行動を起こす勇気を出せない人がいる。他人の成功を聞いて、「それは、俺がずっと前から考えていたアイデアだ」と周りに妙な自慢をしたり、「あのときに行動しておけばよかった」と未練がましいのはよろしくない。

男女の恋愛と同じで、とりあえず行動に出るべきである。

(中略)

実行してみて、「どれだけ頑張っても駄目なことがある」と自分の仮説の間違いを知ることは、行動における最大の収穫である。ある時点で見切り、損切りすることは、成果をあげるためにきわめて重要な行為といえる(135頁)

 

そう、差がつくのは何が善かを知らないからではない。知っていても実行できるかどうかの差である。これはわれわれ自己啓発本を読んで成長したいと思っている人誰しにも当てはまることだ。大概の自己啓発本には実践すればプラスになりそうなことが書いてある。極論何冊も買わずに、たまたま手に取った一冊の本だけを実践しても人生はより良いものになるだろう。ただ、問題は実践が難しい。繰り返し買ってしまうのは、毎年年明けに今年こそは頑張ろうと抱負を定め直しているのと同じようなものだ。前年にやっておけばよかっただけなのだ。しかし、なぜに実践できないのだろう。どうすれば実践できるようになるのだろう、どうすれば続けられるのだろう。うーむ。。。(−_−;)

 

PREP法(「結論を示し(Point)、理由を述べ(Reason)、具体例を述べ相手を説得へ導き(Example)、再度結論を示す(Point)」(125-126頁)といった賢く話すための方法論なども載っているので、気が向いたら実践すればいいと思うが、まずはプライオリティを考えるという理論を優先したほうがいい。

 

「貯金が一億円あったらやらないことは、やらなくていいことである」(131頁)のように金額の多寡は違えど他でも聞いたことがあるような内容もある。自己啓発本はあまり引用や注をつけないからはっきりしないだけで、かなり人口に膾炙する話なのだろう。

 

任せ「られ」ない人がいる。

任せ「られ」ない、とは二つの意味をこめている。ひとつは仕事を頼む相手として、任せるのに不十分であるということ。もうひとつは、人に任せるのが下手な人、ということである(139頁)

 

紙幅の多くは前者の任せるのに不十分な人向けに割かれているが、私は任せるのが下手な人という後者の意味で任せ「られ」ない人である。

やりがいのある仕事なら任せやすいが、中には事務作業的なモチベーションが上がりにくい仕事がある。そういう場合は任せるのに遠慮してしまったりする。また、思い当たる人も多かろうが、任せるより自分がやったほうが早いと、結局自分で引き取ってしまうパターンである。自分でやったほうが早いには、仕事そのものが自分がやったほうが早い場合もあるし、指示出しの内容を考えるのが面倒、頼むのが申し訳ないという心理的コストを避ける場合も含まれる。最近は意識的に任せようとしているが、「エイッ」と心の中で気合を入れないければならない。わかっていてもなかなか治せない自分の悪癖である(⌒-⌒; )

 

やりたくないことを消していくと、やりたいことが残るような気がするし、やりたくないことの裏返しがやりたいことだったりもする。

(中略)

加えて、目標を「紙に書く」というのもポイントである。頭の中でぐるぐる思いをめぐらせているだけでは、考えていることにはならない。文字という形ができて、初めて考えは具体化するのだ。文字で表現できないということはわかっていないということ。頭の中のイメージと、文字で表現された内容がしっくり来ないのであれば、検討が不十分だったということ(194-195頁)

 

人生のプラオリティを考え、そのための行動の前提として、筆者は「やりたくないこと」を考え、それを書き出すことを推奨する。やりたいこと、やりたくないことを考える際には上述の「1億円」のたとえも役立つだろう。1億円あったらやりたくないことは、やりたくないことリストに加えていけばいい。

 

ギャンブルで”勝つ”と怖くなる金額が、あなたの限界である

友人がマカオに行ってカジノに勝ったという話を聞いた。いくら勝ったのかと聞いたら五〇万円だという。勝ちすぎて怖くなりそこで止めたそうだ。本人は勝って帰れたからよかったという。確かにそうなのだが、私はもっとやればいいのに思った。

ギャンブルの勝ち方の話をしているのではない。壁は自分で作ってしまうという話である(214頁)

 

本書全体のストーリーからすると唐突感のある記述だが、筆者が面白いと思ったから入れ込みたかったのだろうし、確かに、と思い当たるフシもある。軽く筆者の自分自慢が入っているが、そこには目をつぶろうw


無限の可能性、とまでは言わないが、案外やってみれば出来ることのほうが世の中多いのではないか?誰も制約していないのに、自分の頭の中で勝手に自分はこの程度とか、やらない理由を探している。実際に失敗は恐い。それこそ途中まで成功していたら、これまでの努力が泡と消える恐怖に苛まれる。ゼロだったとしても、失敗の内容によっては、恥をかいたり、いくばくかの出費を伴ったり、何らかの心理的、時間的、物質的なコストを支払わなければならない。結局壁を越えられるのは自分しかいないのだ。誰しもが壁を作るのかもしれないが、その壁の中の面積が大きければ大きいほど、より多くのことにチャレンジできるのだろうし、成長もできるのだろう。壁といえば、進撃の巨人だが、確かに生存が許された面積が小さければ小さいほど人間も小さくなってゆく。

 

仕事第一なんて、昭和的で残念な人ですね、と著者を批判することはできよう。しかし、平成においてさえも、人生の質をちょっと上げる程度だったとしても、プライオリティや実践というのは役立つことだ。やや高飛車な言い方にカチンとしている私のような人は、逆説的に筆者が指摘するようなことを本心では気にしてるということかもしれない。そうでなければ、気にもならない。本心では改善したいと思っているのだ。そうであれば、本書の枝葉に突っかかるのではなく、ちょっとでもいいから役立つと思ったことを実践したほうがいい。筆者が仕事人間で昭和的だとしても、なぜにそれが自分が実践しなくていい言い訳となり得るのか。

 

しかし、本当に実践は難しい。なぜに人はやらない理由を見つけて自分を正当化するのが得意なのに、そのエネルギーを実践に振り向けることができないのだろう。。。(´ω`)

 

さて次は何を読もうか。